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前十字靭帯再建のリハビリと、日々のこと

気持ちの良い5月が似合う映画、ショーシャンクの空に

 アンディの様になりたいと思うし、レッドの様にもなりたいと思う。ひねくれている訳でもなくて、それでいて大げさな勧善懲悪の話でも、感動の押し付けでもない。名作と言われながらも、素直に展開していくストーリーは本当に気持ちがよく、見終わった後清々しい気持ちになる。それも鮮やかな新緑や気持ちいい風がふく5月のような清々しさ。エンドロールの音楽も爽やか。

 

決してスッキリ!爽快!という気持ちよさではないけれど、この爽やかさこそ、人を魅了してやまない理由のような気がするし、この映画が好きな理由なのかもしれない。

ストーリー

ショーシャンクの空に』(ショーシャンクのそらに、原題:The Shawshank Redemption)は、1994年に公開されたアメリカ映画。刑務所内の人間関係を通して、冤罪によって投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマン・ドラマ[2]

 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

Wikipediaをはじめ、大体のあらすじに思いっきり冤罪と記されていますが、私はこの話の一番おもしろい点は、主人公のアンディが妻と愛人を殺したのか、それとも無実なのかが中盤まで明確に明示されていない点だと思う。

 

冒頭の裁判シーンがよくそれを表していて、決定づけるには十分な状況証拠と余りある動機を前にして無罪を訴えるアンディ。この時点でアンディを無実とするには、アンディの主張を無条件で受け入れるしかない。でも冒頭数分でアンディが確実にやっていないと言えるだけの情報が提示されているだろうか。もちろん、提示されているわけがない。この時点ではアンディが有罪、無罪、どちらの立場なのかぼやかされている。

 

それを踏まえた上でのショーシャンクでのアンディ。ここからは受刑者であり同様に殺人の罪で投獄されているレッドの視点が入ってくる。このレッド刑務所内のヒエラルキーでは上位にいるにも関わらず、権力や力でその地位を手に入れているのではなく、人柄による情報屋として地位を気づいている。何が言いたいかというと、このレッドが本当にいい人。え、この人なんで終身刑なの?え?ってなるくらいにいい人。

 

このレッドのいい人を通じて表現されるアンディ、これがまた元銀行員とだけあって超有能。受刑者でありながらも自分の金融知識を使って刑務官に対等なアドバイスをしたり、刑務所内の知識レベルの底上げを行ったりと様々な改革を行っていく。それらがどれも自分の利益の追求にはみえないから、どこからどう観てもアンディはいい人としか言い様がなくなってくる。カイジの地下王国の奴らとは大違い。

 

おや?アンディは無罪なのでは?という気持ちの方が強くなってきたところで、新参者のトニーが無罪であり得る証言を伝える。おそらく、このタイミングまでアンディ自身も自分の無実について若干の疑いがあったのではないかと思う。当日泥酔していたし、その後刑務所でビールが振る舞われた時も頑なに飲まなかったし。

 

推測でなくかなり確証に近い証拠、それも証言を手に入れ得る可能性が残されているとくれば、再審を要求するのは凄く当然だし、今まで見返りを求めずに働いてきたことを考えれば当然の主張だと思う。

 

しかしまあ、この主張はアンディと共に裏金をつくり続けていた所長によって却下された上に参考人であるトニーも殺されるという本当胸クソ悪い結果につながり、

これが引き金になって、アンディは脱獄し、裏金をすべて着服し、さらには所長を告発して制裁を与えるという今までのフラストレーション大噴火な結末に進むわけです。

 

これ、アンディの主張を受け入れて再審を行い無罪を証明、トニーという逮捕常習犯の若者に刑務所内で教養を与えて社会復帰させるという筋書きをとった場合、告発もされず、裏金も残したまま、所長は受刑者の人権を尊重するデキた人、として社会的地位を格段に上げられるという、すごいチャンスだったのにね。目先の利益に動かされて先見の明がまったくない。もったいない。

 

終盤で20年間せっせと脱獄するための穴をせっせと掘っていたことが発覚するアンディだけど、この2つは確実にポリシーとして持っていたと思う。

 

・自分は無実だが、それが確信できるまで脱獄はしない

・無実と確信しても、正当な手段での出獄を目指す

 

でないと最初の刑務官への作業の御礼として、自分が飲まないビールを仲間の為に要求したり、図書館の充実や、高卒資格の斡旋など刑務所の改善を見返りなしに行ってきた理由が全くなくなる。

ショーシャンクの空に』のストーリー全体がとても”素直”に進んでいくことからみても、アンディは素直にいい人とみるべき。だとしたら今までのアンディの刑務所での働きは、脱獄する時のための準備として行ってきたものではないと思う。上の2つのポリシーがあった上の、最終手段として脱獄し、ラストに繋がったとするとすごく納得できる。

 

そしてアンディの対比のいい人として描かれているレッド。20年目のレッドと、40年目で釈放されたときのレッド、どちらもかわらずいい人だけれど、その中に確実な時の流れが見える。多分、彼は投獄された時からずっと罪を悔やんでいる。だからこそ生きている人にやさしくなったんじゃないだろうか。

アンディの見返りを求めない貢献やブルックやトニーの死など様々なできごとを通じて、自分の後悔とやさしさの意味意味に気づいたからこそ釈放が許可され、アンディと再開するラストに通じると思う。

 

 

ふたりとも自分と向き合い開放され、そして海辺で再開するシーンはやっぱり清々しくて気持ちいい。 

 

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